ユイさんからの投稿

私は普段は何か見えたりすることもなくて霊感的なものはほぼないタイプだと思うのですが、家族に何か起きる時だけよくないものが見えてしまったり感じたりすることが過去に何度かありました。



大好きな祖父が亡くなった時のことです。



私が大学4年生の時。祖父が老衰の為亡くなりました。



亡くなる前は少し体調を崩し入院をしていたものの重症ではなく、退院を目前にしていた頃だったので、亡くなった時は家族みんなが驚いていたくらいです。



私が祖父の入院を知ったのは祖父がなくなる2週間前のことでした。



重症ではなかったこと、私が就職活動で忙しかったことを懸念して家族が余計な心配をかけないように黙っていたのだそうです。



就職活動がひと段落し、ちょうど春休み最終週に休息も兼ねて実家へ戻った時に祖父の入院を聞き、すぐにお見舞いへ行きました。



もともとアルツハイマー病を患っており、祖父の中で私に関する記憶は、中学生の頃の私まで戻ってしまっていました。



それでも私が会いに行くといつも嬉しそうに迎えてくれました。








帰省から戻る日。少しの間のお別れを言いにまた病院を訪ねました。



その日の祖父はいつもに増して元気で、いつもは残してしまいがちな食事も私の隣でほぼ完食。



お菓子もモリモリ食べて看護師さんも驚いていたくらいでした。



帰る間際、記念にと二人で一緒に写真を撮りました。



そして別れの時間がきました。



「おじいちゃん、そろそろ夜行バスのらなきゃいけないから帰るね!
また次のお休みには帰ってくるから。
そしたらまたたくさんお話ししようね。」



そう言って離れようとすると



「今日は帰るな。
きっとまたすぐに戻ってこないといけなくなる。
大学にはお休みを伝えて、帰らずにここにいな。」



と真剣な顔をして私を頑なに引き留めてきました。



私はこの日ほぼ一日中祖父と一緒にいました。



なので寂しがって言っているんだろうな・・・ぐらいにしか思っておらず



「ごめんね、大切な授業があるの。
ここにいたいけど勉強頑張ってくるからおじいちゃんも頑張って!」



と笑顔で伝えると一瞬寂しそうな諦めたような、でも納得した笑顔を見せてくれて


「そうかそうか。元気で頑張ってな。」



そう言って送り出してくれました。









その日の夜、実家で荷造りを済ませて出発しようとした時、さきほどまでピアノの上に置いてあったはずのバスのチケットが見当たらないことに気が付きます。



母と二人で探しましたが見当たらず…



「分かりやすいように置いといたはずなのにおかしいな…」



そう言って結局、再度切符を購入してバスに乗車しました。








そして明け方。
自宅へ戻って無事に到着した旨を伝えようと電話をするといつもは寝起きの母の声が小さく、すすり泣く声が聞こえます。







「ユイ・・・バスで疲れているのにごめんね。すぐに戻ってきてくれるかな。
おじいちゃんが、、、おじいちゃんがさっき亡くなったの」









私は呆然としました。



昨日までおやつもたくさん食べて、あんなに元気だったのに。











悲しみに暮れる間もなく、私は急いで新幹線とバスを使って地元へ向かい、夕方到着しました。



姉と途中で合流して帰ってきましたがお互い無言でずっと目に涙を溜めたままでした。



病院に着き、眠る祖父の顔を見て昨日と何も変わらない姿なのに触れると冷たく、この時私は初めて人の死を目の当たりにし、その現実が頭で理解できず…
ただ見つめることしかできませんでした。



そんな時にそっと母が肩を抱き寄せ、私にこう言いました。



「おじいちゃんと生前最後に会ったのはユイだけだよ。

最後に大好きなユイに会えて、おじいちゃん嬉しかったんだろうね。

よく顔を見て?笑ってるでしょ?」



見ると、本当に祖父は笑ったように安らかな綺麗な寝顔をしていました。



そして母は続けました。



「あとね、バスのチケット、見つけたの。
カーペットの下のかなり奥の方にあったのよ…誰もそんな所にチケットなんて入れたりしないのに。不思議だね。
きっとおじいちゃん、ゆいが帰れないようにチケット隠したんだね。」



私は驚き、そして祖父の気持ちを想いました。



きっとあの時、祖父にはもう今夜が山だとわかっていて、既に走馬灯のようなものが始まっていたのでしょう。



そしてこの時私は病院でのやり取りをもう一度思い出し、ハッとしました。



祖父が私に頑なに帰らないように伝えたこと。



そしてもう一つ…










そう、認知症で中学生だったはずの私の記憶が、あの時ちゃんと大学生に修正されていたことを。




祖父は、最期に成長した私の姿をちゃんと認識してくれていたのです。











あの日に病院で二人で撮った写真の祖父の笑顔を見るたび、私はこの話を思い出し、大好きなおじいちゃんにまたいつか会いたいなぁと思っています。